樹木葬

~ 萩の里山で行う自然葬のご案内です ~

ご契約者の声

ご訪問くださった方々、百草の会会員の方々よりお寄せいただいた、馥林祭・講演会の感想や樹木葬への思いをご紹介させていただきます。

T.T 様 より

私が宝宗寺と出合ったのは、主人が私の母の為に「母が望む樹木葬」の場所を探すパソコンの中からでした。

私共が暮す近畿周辺にも「樹木葬」と名の付く墓地が数ヶ所有りましたが、それらはジャリで埋まった整地され、区切られた平地で、その上に石でも何でもオブジェを置いてもよい、というようなもので、私共の考える「自分の死後、自然に帰って行き、最後には無に還る」という事とは、ほど遠いものばかりでした。そして、ようやく見つけた理想に最も近い宝宗寺に、主人と車をとばし、その場所を拝見した時、私共はようやく安堵しました。

主人と私が何よりも気に入ったのは、宝宗寺の樹木葬の墓地が生まれたばかりの場所で、謙虚なお人柄の和尚さんご夫婦は「皆様で共により良い墓地に育てていきましょう」と、私共の言葉や希望も快く受けいれて下さり、「ああ、自分たちの墓なんだ」と実感できました。

その後、宝宗寺のおかげで、萩がすっかり気に入った私と主人は、以前から計画していたスローライフの田舎暮らしの場所をこの萩にしたいと和尚さんに相談しました。和尚さんは多忙な中、何件かの物件を探し案内して下さり、私共の田舎暮らしの夢は今、着々と進んでおります。

皆さんもこ一緒に田舎暮らしをなさいませんか?この萩で。

O 様 より

百草の会の追悼式も無事に済みいろいろとお疲れ様でした。私たちは初めての経験でしたが皆様和やかにお食事もすすみ本当によい場を与えて下さいました。参加してよかったと感謝しております。奥様の手料理も大変美味しく戴きました。樹木葬を檀家の皆様に納得して頂くことが一番難しいことだったと思います。私が友人に話をしましても、分かってくれる人が何人いるでしょう?でも懲りずに樹木葬の説明をしております。一人でも多くの人に分かって貰いたい、そして里山が賑やかになり植樹した木が立派に生長して欲しいものですね。我が家の植えた山吹の木も寒さに負けずしっかりと根付いていました。ご先祖様が守っていらっしゃるのでしょうね。お二人の丹精もあって、これからもどんどん大きくなり、美しい花が咲くのを楽しみにしています。

お二人の夢と希望に私も乗っています。近ければ草取りやイベントに参加させていただいていると思いますが残念です。総会後、博多のMさんに東萩まで送っていただき菊ヶ浜の「萩一輪」という旅館に一泊しました。大変いい旅館で気に入りまして今回で三回お世話になりました。こんな寂しい所と思っておりましたが、此の度は初めて良い所だと思いました。静かで、素朴で田中さんたちが終の棲家として選んだ気持ちに乾杯です。来年の総会にも必ず参加したいと思いますので宜しくお願いいたします。お元気で夢に向って頑張って下さい。会長さんに宜しくお伝えください。大変お世話になりまして有難うございました。

「樹木葬を選択するとは、何とも美しく、哀しいことか」 N 様 より

落葉樹は秋には葉が黄色、或は赤くなる。日本を含む温帯では、葉に寒さをしのぐ手段を備えていない種類の木々は冬には全部葉を落とす。

風雨に耐えた葉を落としたその樹姿は格別に淡雅である。

落葉樹は春には芽を萌き新しい生命活動を謳歌し、人々に又、新緑の爽快さと樹蔭の舒適(じょてき)をもたらす。

常緑樹は年間を通し、光線を吸収し、花を咲かせ、実を結び、休息するいとまもない。

とはいえ、人々に欣悦と美観をもたらす。

常緑樹、落葉樹ともに樹葉の働きは非常に重要だ。

常緑樹は自己の葉の寿命を伸ばすため、強風に耐える、強烈な太陽熱に耐える、動物・虫などの食害に耐える葉を作らねばならない。

子供・大人・老人も、美味な、健康に良いものを毎日食べ、成長し、エネルギー源を摂取し、体調を維持する。

樹木は緑の葉、陽光、空気、二酸化炭素があれば、光合成作用で澱粉を作り、更に根からの窒素化合物の吸収によって蛋白質が合成される。自分で栄養を作り、自分で食べ、水も飲む。

こうして樹木は自給自足で生きている。

大地にしっかり根を下ろすとはこのことをいう。

人間も大地をしっかり踏みしめまっすぐに生きてきた。

樹木葬墓地は、萩の地に適した樹木を選定し樹高などを考慮した設計にして欲しい。山に登らず、参拝者は本堂から仰ぎ見るという考え方もあると思う。

埋骨者の氏名をこの世に生きていた証として、本堂の中に和紙に毛筆書きして掲げられることも望んでいる。自由平等民主主義の世の中に生を享けたことは、私たちの大いなる誇りなのだから。

「土に還る秋に備えて」 K 様 より

ある新聞で、学生時代に習った講義の内容は、年とともに忘れるが、50代60代になると、憶えているのは5%以下だという記事を読んだことがある。私も60代の半ばを迎えた今、講義の内容はほとんど憶えていない。しかし、どうしても忘れることができないものもある。それは「土の上のものはすべて土に還る」という言葉だ。私は宗教はよくわからないが、その意味を考えると、いずれの宗教にも程度の差はあれ、共通する死生観ではないだろうかと思う。

私には子供がいないので、自分が死んだら葬儀は不要、位牌や墓も不要と日頃から言っている。しかし、去年の始めからは自分自身の後始末をどうするか、いかに人に迷惑をかけず身を処すことができるか、ということをあれこれ考えるようになった。もちろんそれまでにも、新聞や雑誌を読んで、高齢者の生活を守る成年後見制度というものの存在を知っていたが、かといって、具体的にどうすればいいのかとなかなか前に進まない。ただ書籍を読み、専門家に意見を聞き、講習会に出て、知識を得る日々であった。そんなとき、去年の10月新聞で宝宗寺の樹木葬に関する記事を読み、今年の2月には福岡で開かれた手元供養展で樹木葬のパンフレットを貰った。「あれ、これこそ『土に還る』ことではないか」と思い、5月の初めにやっと妻と宝宗寺を訪れることができた。

三上住職さんにお会いして、「自然に帰る」というお話をお聞きすると、納得できることが多く、樹木葬は、自分のような立場、考え方の者に相応しいのではないかと確信するようになった。その意味で住職さんを知り、樹木葬という考え方に賛同できたことは本当によかったと思っている。世界には、様々な弔いの方法があり、日本のように火葬をしたり、インドのように川に流したり、サウジアラビアのように土葬して墓碑も何も立てないところもある。私は若い頃、中近東で仕事をし、イスラムの考え方に同感できる点もあったので、なおさらそのような形に抵抗感がないのかもしれない。

今年6月には樹木葬墓地の契約をした。私は、10年前から日本語ボランティア(日本語を学習したい外国人を支援する)活動で結構忙しい毎日だが、1年程前から後事についてさらに真剣に考え、勉強し、専門家ともいろいろと相談しているところだ。具体的には、遺言を書き、見守り契約・財産管理等委任契約、任意後見契約、後事委任契約等々を結んで、『土に還る』秋に備えることになるであろう。8月20日の百草の会の交流会で、ある会員から、後事をきちんと準備して亡くなられた方のお話をお聞きして感心した。やはり自分でできることはできる限り自分でやっておこう、という思いを新たにしている秋の今日この頃である。

「山里に暮らせば」 T 様 より

大都会の雑踏の中から抜け出し、この萩の田舎に移り住んで一年。

山里の春夏秋冬を味わい、この選択が間違いではなかったと、しみじみ実感しております。

それはふと見上げた夜空の、今まで見たこともない、こぼれるような満天の星に!

朝、目覚めた時の窓の外の一面の雲海に!

春の芽生えの、萌える若葉の色に!

夏のむせかえる程の色濃い緑に!

秋の鮮やかな驚くほどの紅葉に!

冬の水墨画のような雪景色に!

ここかしこに次々と顔を出す、四季ごとの山野草に!

流れる川ごとに乱舞するホタルに!

数え上げればきりが無い。大自然の中に身を置く醍醐味に感動し、その多くの恵に感謝する毎日です。

もちろん、山奥の田舎ですから、蛇もでます。蜂もアブもムカデもでますよ。それが自然なんです。

私は、ビルや車や機械の中でなく、自然の中にチョットお邪魔して、住まわせてもらう道を選んだんですから。

只今、山里暮らしは順調に進んでおります。

では、そろそろトマトの芽かきと、スイカのツルの世話に出かけますかね。

あっ!アスパラハウスの雑草抜きにも行かなくては。

私たちが農業に?

いえいえ、とんでもない。これは自分たちの楽しみの分だけ、ご近所の農家の畑に仲間入りさせていただいているんです。

なんせ、採れたては、とても美味しいんですよ。

そうですね。うちの畑は来年から取り掛かりますか。

「土に還る秋に備えて」 K 様 より


現在の福川中学校

中学校遠景

萩市福川は、私が中学校長として初めて赴任した忘れられない土地です。その萩・福川の宝宗寺さんの樹木葬に昨年暮れに加えていただいたものです。県内に樹木葬が行われていると知ったのは、昨年の5月、NHKのローカルニュースでした。萩市役所で宝宗寺の場所を確かめ、ご縁を感じて早速6月に妻を同伴して伺ったようなわけでした。福川といえば“たけのこ”が有名なんです。“たけのこ”の料理は、煮物・酢の物・チラシの具と、このあたりまでは経験ずみの方が多いことでしょう。

てんぷらもあるし、な、なんと孟宗竹の子の刺身がまたいいんですよ。「新しいうちだけ」とのことでしたが、これが酒の肴においしかった。

最初の死の淵は、小学校4年9歳の夏の原爆で、自宅は全壊ながら家族共々生存。次の崖っぷちは、60歳の秋、大腸癌の摘出手術からの生還。そして今、三度目の正直と言いますが、昨年秋から血液や内視鏡・CT等の検査で疑念を残すものの、現在はしばし執行猶予中の身の上です。<

授かった余命は、「地域にお返し」をしたいと願っています。小学校の“みまわり隊”や、班のゴミ置き場づくり、“人づくりを支える会”とか“市民参画・協働懇話会”などと、手足や頭に汗しているこのごろです。これからも、不思議な出会いとご縁とを大切にして、夜空にきらめく星のひとつに近づきたいと思っているところです。

「遠い、遠いところを見続けたい」 N 様 より

「樹木葬」と聞いて、私はとっさに<おしゃれだなぁ>と思った。何がおしゃれといっても、好きな木を植えて、その根方で自然に還るという明るさがいい。実は、すでに家内のほうがこういうことに熱心で、いろんなゴールイン(いやゴールアウトかな?)を調べて話題にしていたものだった。

さて、人類の歴史はせいぜい600万年くらいだが、地球はとなると46億年という年齢を数える。しかし私たち人間はもちろん、太陽や地球も遂には消滅する運命にあることは、望遠鏡のかなたで凝集し雲散霧消していく星々の観測から、知られた事実である。<どうせ消えてなくなるものなら、節目のイベントを一つくらい世にアピールしても罰は当たるまい>と私も共感した。そして残された時間に、受けてくれるバトンがあればどんな形かで引き継いでいき、自分の暮らしも濃いものにできたら願ってもないことだ。早い話、自分の終わりの祭りをデザインして、いろんな向きから遠くを見てみれば、おのずと筋道が見えてこようという気がしたわけである。

そこで、先輩たちはどんな遠くを見ていたのだろうか。心に残る三人をここに紹介したい。

1 森鴎外の見た遠いところ「普通の人の生涯」

「安井夫人」の中で鴎外は、下級藩士安井仲平の妻<お佐代さんは必ずや未来に何物かを望んでいただろう。そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い遠いところに注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕も有せなかったのではあるまいか>と言っている。35年支え続けた夫は、お佐代さんが亡くなるまで格別の出世も給金アップもなく、その死後やっと報われ始めた。生涯を超えたスパンで、尽くすべき人事を尽くしたお佐代さんを通して、生涯で結果を出すのが当然となった生き方を鴎外は問うているように思う。

2 司馬遼太郎の見た遠いところ「自然・宇宙の法則」

「司馬遼太郎が考えたこと14」で、<自然こそ不変の価値である。人間は、自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた>と言い、<その態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ>とも警告している。

人間は、大きな自然・宇宙のルールの枠内で、その次の人間のルールを生きていくべきものということを、多くの作品で示している。

3 親鸞の見た遠いところ「命のつながり」

歎異抄第五章」で、<父母の孝養のためとて、一返にても念仏まふしたることいまださふらわず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれもこの順次生に仏になりてたすけさふらふべきなり>と言っている。

親の供養は、普通誰でもやっている。しかし、生きとし生けるものすべてが支えあって、この世が成り立っているものである。他力に目を開けば、一見無関係な人々や生命体にも感謝や慈悲の手をさしのべることができると言っているように思うがどうであろうか。

T.O 様 より

土地の狭い日本で森林を切り開いて霊園を造ることは時代遅れです。

これからは緑化運動とタイアップして、植樹した木を墓石代わりにして、何らかのメッセージを墓碑銘として残す方が良いと思います。

~朝日新聞日曜版 be ”96歳・私の証あるがまま行く” 聖路加国際病院理事長 日野原重明 より抜粋~

メディアで”自然葬”のことを取り上げられることが多くなりました。

それに触れるたび、”樹木葬”を選んで良かったと確信します。

1年半の闘病生活の果てに迎えた夫の最後・・・

理性という重いふたで押し込めてきた複雑な感情や社会の重圧、病魔など、夫を苦しめていたすべてが静かにゆっくりと抜け出ていきます。

すべてが清められ、透明になって空気に溶け込んでいく・・・

そんなふうに感じられました。

樹木葬

墓石を立てて、納骨することに納得できず、手元に置いて考えていたとき、テレビで報道された、宝宗寺の樹木葬を見て、自分の思いと重なることに、深い感動を覚えました。

3回忌法要を済ませたあと、埋骨させていただくことにしました。

墓碑銘

夫が生きていた証を残したくて、普段の何気ない会話の中から心に残っている夫の言葉に、当時短大生だった娘、中学2年生だった息子への思いなどを織りまぜて、本(と呼べるかどうかわかりませんが、つたない文章で私なりにつづったものを自費出版し、)という形にして、子供たちや、法要に来られた親せきの方々に渡しました。

これがうちの場合、墓碑銘にあたるかと思います。

透明になって

世界のあちこちで起こっている大規模な自然災害や、年を追うごとに厳しくなる機構の変化に、地球変動を実感します。

このような状況の中、自然と一体になることほど、強いものはないと思うのです。

自然葬はまさにこれ!!自然と一体になることですよね。私もその時が来たら、透明になって自然に還りたいと切に願っています。

心、身体にたまった垢を少しずつ落として……。

「田舎で暮らせば」 T 様 より

ネオン煌めく関西の大都会から、外灯ひとつ無い山奥の田舎に引っ越して3度目の冬。降り積もる雪で、一夜で水墨画に変わる景色にも何度か出会い満足な冬。

先日の朝、目覚めてビックリ!ベッドの中から見るいつもの楓の木々にびっしり付いた霧氷で辺り一面銀世界、その美しさに大感激しながらも余りの寒さにぬくぬくの布団から出る気になれなくて、折角のシャッターチャンスを逃してしまい残念!

こんな風に呑気な田舎暮らしですが、忙しいのは都会で暮らしていた時以上、それは人の密度が薄い分アチコチに顔を出し、何や可やのお手伝い。

でも、それは時間を取られて煩わしい訳でなく、私達が周りに必要とされていて、私達が出来る事をしているだけ、また私達も皆に助けて頂いています。

これって都会で生活している時には感じられなかった充実感、土や木や水や虫や草と一緒に生きる。自然の一部として人も共に生かされている、生きるとはこう言う事なんだと、還暦を向かえようやく理解できました。

日々自分が何の為に生きているのか、自分自身の価値を見い出せず悩んでいる方、一度田舎で土や草に触れてみませんか、紛れもなく人間も自然の、自然の一部で、自然の恵の中で生かされている事が実感できますよ。

私共はあなたのお越しを何時でもお待ちしておりますよ。

T.S 様 より

いつも会報を届けて頂き有難うございます。

宝宗寺ご住職の「仏教の話」などありがたく拝読させていただいております。

里山の管理をお願い出来ます事感謝に耐えません。自宅マンションにて敷地の草木の手入れをする度ごと、百草の会の皆様のご苦労を感じております。

持病のため旅行が無理な為、色々な行事に参加出来ないのが残念ですが、会報にて山口県の実情などお知らせいただけるのがありがたいです。関東と山口県の植生は微妙に違っていて会報で見る写真の植物など、大変懐かしく拝見しています。

樹木葬につきましては、亡夫は生前より「カロートに入るのはイヤじゃ」と申して、遺書にも自然葬希望と書いていましたが、葬儀後イザ何処へ?となりますと具体的に何も分かりませんで、宝宗寺様にたどり着くまでそれはもう大変でした。何しろ一族で始めての自然葬でしたから、親戚縁者の了解を取り付けるまでのいきさつは、後日書かせて戴きたいものです。埋骨時、初めて宝宗寺様に伺いました折り (何しろ東京住まいがながく、病院も都心で、のべつ繁華街を浮遊してますもので) 余りの素朴さ?に痛く感動いたしました。寺院とは本来こうあるべきではないでしょうか。

こちらでは墓石墓地の広告が驚くほど多く、それらを見るにつけ、自分の選択が最良だったと満足しております。

マア、我ながらめったに無い良い判断でしたが・・・・・

この様な企画をなさいました会長様に感謝いたします。大変なご苦労をなさったと拝察いたします。

M.N 様 より

いつもお世話していただき、ありがとうございます。

「アビ」は元気で暮らしているだろうか。「百草の会報」が届くたび里山へ想いをはせる。

ここへ来るとなぜか安らぐ。安心できる。ホッとする。人工的なものが何もないから。

自分は無信心者だが 〝人は自然に生まれて来た。だから自然に還る〞それが自分の理想。

宝宗寺さんへと続くあの坂道をあれこれ想いをはせながらゆっくりと歩いて登る。私は萩の地が好き。いつか自分も亡き人の隣で土に還る。

◆M.N様にご提案いただきました、お参りされた方の想いを自由に残していただく「ご参拝ノート」を本堂に用意いたしたいと思います。どうぞ気楽にご記入ください。

◆お知らせが遅くなりましたが、犬の「アビ」は半年ほど前、イノシシを追いかけて行ったきり戻ってきませんでした。ウリボウを殺したりしたので、親にやられたのだろうと話しています。残念です。